滅多に、夜の会合へは出席しない私なのだけれど、どうしても、今夜、主人を置いて出かけなければいけなくなった。
平日の昼間、主人の勤務中ならば、何処へでも自由に出かけられるのだけれど。
お勝手仕事がまるで駄目な主人のことだから、【お留守番】をさせるのは大変なことなのだ。
【男子、厨房に入らず】が持論だった、明治生まれの義母に育てられた主人だから、お湯、一つ沸かすことが出来ない。
自分で出来ることと言ったら、辛うじて、パンを焼いて、食べることくらいだろう。
3週間も、私がドイツに行った時は、よくぞ、飢え死にしなかった・・・と、感心している。
今日も、夕方に家を出るのに、もう、
「何時に、出るのだ! 俺の夕食はどうなってる・・・」
朝から、煩いくらい、訊いてくる。
「帰りは何時だ! 遅くなるのか・・・」
教育が悪かったのは私の所為だから仕方が無いが、隠居になって、家に四六時中居るとなると・・・。
お~! 怖っ!
先が思い遣られる。(笑)
平日の昼間、主人の勤務中ならば、何処へでも自由に出かけられるのだけれど。
お勝手仕事がまるで駄目な主人のことだから、【お留守番】をさせるのは大変なことなのだ。
【男子、厨房に入らず】が持論だった、明治生まれの義母に育てられた主人だから、お湯、一つ沸かすことが出来ない。
自分で出来ることと言ったら、辛うじて、パンを焼いて、食べることくらいだろう。
3週間も、私がドイツに行った時は、よくぞ、飢え死にしなかった・・・と、感心している。
今日も、夕方に家を出るのに、もう、
「何時に、出るのだ! 俺の夕食はどうなってる・・・」
朝から、煩いくらい、訊いてくる。
「帰りは何時だ! 遅くなるのか・・・」
教育が悪かったのは私の所為だから仕方が無いが、隠居になって、家に四六時中居るとなると・・・。
お~! 怖っ!
先が思い遣られる。(笑)
コメント
こんな話は、事例として適切ではないかもしれませんが聞いてください。
私の父が身の回りのことができない人でした。
しかし、そんな甘ったれな父だったのに(言葉が悪くてゴメンナサイ)、母に死なれてから、まるで人が変わったように自分のことが自分でできる人になりました。
私は、母を連れ出したいのに父のせいでそれが叶わないとき、「お母さんのしつけが悪かったのよ」と辛辣に批判しました。今では苦笑いしてしまう思い出です。
ここからが問題なのですが、私も自分の夫のしつけを間違ってしまったようです。
後の祭りなので、「自分のことは自分でできる男になりなさい」と、夫への当てこすりも含めて息子たちに伝えています。夫にどれだけ響いているかは不明ですが・・・(苦笑)。
実は、今日の会合でも、「今からでも遅くない。ご主人を教育しなおしなさい!」と、皆に言われました。
若っては居るのですが・・・。
実家の父は、母に先立たれた後、再婚するまでの7年間。 ものの見事に「主夫」してました。
何も出来なかった人なのに。 案外できるのに、隠していたりして・・・。(笑)
ちなみに、我が息子たち。 やはり、お勝手には入らないようです。
人を変えるということは自分を変えるよりも、ずっとずっと難しいことです。
夫は、私が死ななきゃ変わらない・・・のかもしれません。
(あっ!、前にも言ったかも~笑)
家もヒカルさんと一緒だわ、きっと。。
女房族は一日でも【夫】より、長生きしなければいけませんね。(笑)