冷たい涙と暖かな涙。世の中には様々な涙があるのね〜。
2005年11月25日
年を重ねると共に、涙もろくなってきて・・・。
昨日は、半日、泣いてました。
日記仲間の皆様の優しい呼びかけに・・・、親しい友人の電話に、メールに・・・。
こんなにも涙腺がゆるくなってただなんて、知りませんでした。
亡き母は、何事にも、『細く長く』が信条の人だったのに、実際に、子供達への教えもそうであったのに、現実は、【太く短く】生きてしまったようです。
幼くして(6歳)母を亡くし、祖父・父と言った男親に育てられ、教育された母は、今にして思えば、ちょっと変わっていた母だったのかもしれません。
私の小学校時代は、生家は地金商を営んでいました。
店には数多くの奉公人(昔はそう呼んでました)が居て、母は金庫の前に座り、采配を振るってました。
そんなに忙しい母なのに、下校してきた私を座らせ、それこそ膝詰め状態で、宿題を見てくれました。
ある日、銀行へのお使いを頼まれたことがありました。
しっかりと渡された紙包みを胸に抱いて、窓口へ行きました。
開いてみると、そこにはお札ではなく新聞紙の塊が・・・。
「よく、お使いが出来ましたね〜」と、銀行の人に褒められて、意気揚々と、半分は憤りを感じながら、口を尖らせて母に抗議したものでした。
母は、笑いながら、
「悪い〜! 悪い! 何事も経験させときたくて」と、涼しい顔です。
その後も、株券のお使いに茅場町まで・・・と、私には到底真似出来ない大胆な発想の持ち主でした。
家が商人だった所為もありますが、小さい頃から、料亭やレストランに子供達を出入りさせて、物怖じしないように育ててくれました。
軍需景気に湧いていた、日本の古き良き時代でもありました。
世の中が、のんびりと流れていて、平和な日本でした。
個人商店から会社組織に代わり、ばりばりと手腕を振るっていた母が、いわゆる【奥様】になった頃から、母の衰えが始まったように思えます。
元々、あまり丈夫ではなかった人でしたが、「張り」が無くなったことが、一番の原因かと。
何時の頃からか、昔の母の生き様を知る私の古くからの友人たちと、母の話をすることが楽しくなってきました。
同じように、お母様を亡くされた友人とは、
「ティッシュ! ティッシュ!」と叫びながら、涙を拭きながら笑い転げて・・・。
悔しくて、流した涙と違って、なんと、この涙の暖かなこと!
いつまでも母の愛情に包まれてる感じがします。
若い頃は、わがままで高慢ちきで、鼻持ちならなかった私が、今、曲がりなりにも、後ろ指差されることなく過ごしていられるのも、母の教えと、主人の両親のお陰だと、感謝しています。
皆、あちらの鬼籍に行かれてしまいましたが、いつも見守ってくれてる感じがして、勇気が出るんです。
年と共に、暖かな涙をこぼすことが多くなってきて・・・。
それだけ、角がとれて丸くなってきた証拠でしょうか・・・。
昨日は、半日、泣いてました。
日記仲間の皆様の優しい呼びかけに・・・、親しい友人の電話に、メールに・・・。
こんなにも涙腺がゆるくなってただなんて、知りませんでした。
亡き母は、何事にも、『細く長く』が信条の人だったのに、実際に、子供達への教えもそうであったのに、現実は、【太く短く】生きてしまったようです。
幼くして(6歳)母を亡くし、祖父・父と言った男親に育てられ、教育された母は、今にして思えば、ちょっと変わっていた母だったのかもしれません。
私の小学校時代は、生家は地金商を営んでいました。
店には数多くの奉公人(昔はそう呼んでました)が居て、母は金庫の前に座り、采配を振るってました。
そんなに忙しい母なのに、下校してきた私を座らせ、それこそ膝詰め状態で、宿題を見てくれました。
ある日、銀行へのお使いを頼まれたことがありました。
しっかりと渡された紙包みを胸に抱いて、窓口へ行きました。
開いてみると、そこにはお札ではなく新聞紙の塊が・・・。
「よく、お使いが出来ましたね〜」と、銀行の人に褒められて、意気揚々と、半分は憤りを感じながら、口を尖らせて母に抗議したものでした。
母は、笑いながら、
「悪い〜! 悪い! 何事も経験させときたくて」と、涼しい顔です。
その後も、株券のお使いに茅場町まで・・・と、私には到底真似出来ない大胆な発想の持ち主でした。
家が商人だった所為もありますが、小さい頃から、料亭やレストランに子供達を出入りさせて、物怖じしないように育ててくれました。
軍需景気に湧いていた、日本の古き良き時代でもありました。
世の中が、のんびりと流れていて、平和な日本でした。
個人商店から会社組織に代わり、ばりばりと手腕を振るっていた母が、いわゆる【奥様】になった頃から、母の衰えが始まったように思えます。
元々、あまり丈夫ではなかった人でしたが、「張り」が無くなったことが、一番の原因かと。
何時の頃からか、昔の母の生き様を知る私の古くからの友人たちと、母の話をすることが楽しくなってきました。
同じように、お母様を亡くされた友人とは、
「ティッシュ! ティッシュ!」と叫びながら、涙を拭きながら笑い転げて・・・。
悔しくて、流した涙と違って、なんと、この涙の暖かなこと!
いつまでも母の愛情に包まれてる感じがします。
若い頃は、わがままで高慢ちきで、鼻持ちならなかった私が、今、曲がりなりにも、後ろ指差されることなく過ごしていられるのも、母の教えと、主人の両親のお陰だと、感謝しています。
皆、あちらの鬼籍に行かれてしまいましたが、いつも見守ってくれてる感じがして、勇気が出るんです。
年と共に、暖かな涙をこぼすことが多くなってきて・・・。
それだけ、角がとれて丸くなってきた証拠でしょうか・・・。
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