投げやりになっている・・・って、この私が~?
2008年10月19日 エッセイ
「お~い! このコーヒー、何だよ!」
珍しく、主人が苦々しい顔で、コーヒー茶碗を差し出す。
よく見れば、コーヒーの上に、なにやら黒い粒粒が・・・。
「あちゃ・・・。 濾紙に穴が開いていたかしら・・・」
「お前! 最近、やることが投げやりなんだよ!」
投げやり~? 私が~?
自問自答してみるが・・・。
確かに、最近の私は、大声で反論できるほど完璧に家事をこなしてはいない。
何が変わってきたのだろう・・・。
昔から、私は周りの人から、必要以上に大きく(?)見られてきた。
しっかり者で、頭が良くて・・・と。
実態は、だらしが無い怠け者で、ドジで・・・。
最近、その虚像と実像の差に、私自身が疲れてきたというか・・・、嫌になってきたのだ。
夫は定年退職して仕事からリタイヤー出来ても、妻は家事から解放されることは無い。
「しっかり者」の女房は、いつまで経っても家族の為に、身を犠牲にしなければいけないのか。
そんな、愚痴とも付かない怒りが膨れ上がって、行動が投げやりになってきたのかもしれない。
先日、友人と、新宿の高層ビル街の中の、オアシスとも言うべくカフェテラスでひと時を過ごした。
高層ビル群の一角、緑と陽光に溢れたそこは、まさに別天地。 パンのカスを啄ばみに来る鳩を眺めながら、しばしの森林浴(?)を楽しむ。
胸にIDカードをぶら下げて、携帯をかけているおじさん。
ノートパソコンにしゃにむにキーを打ち込むサラリーマン。
笑い声も高らかに、賑やかに喋っている怖いもの知らずの中年のおばさんたち。
皆、屈託無く生きているように見える。
この私だって傍から見れば、優雅に時間を過ごしているように見えるんだろうと思う。
今、ちょっと、私は『天中殺(?)』の真っ只中に居るのだろう。
バイオリズムも底の底、底辺に陣取っているのだろう。
ちょっと、停滞はしているけれど、後は、浮上を待つのみ。
明るく、前向きに考えなくては・・・。
美味しい、コーヒーでも淹れ直そう・・・!!
「パパ! 美味しいコーヒー、入ったよ!」
珍しく、主人が苦々しい顔で、コーヒー茶碗を差し出す。
よく見れば、コーヒーの上に、なにやら黒い粒粒が・・・。
「あちゃ・・・。 濾紙に穴が開いていたかしら・・・」
「お前! 最近、やることが投げやりなんだよ!」
投げやり~? 私が~?
自問自答してみるが・・・。
確かに、最近の私は、大声で反論できるほど完璧に家事をこなしてはいない。
何が変わってきたのだろう・・・。
昔から、私は周りの人から、必要以上に大きく(?)見られてきた。
しっかり者で、頭が良くて・・・と。
実態は、だらしが無い怠け者で、ドジで・・・。
最近、その虚像と実像の差に、私自身が疲れてきたというか・・・、嫌になってきたのだ。
夫は定年退職して仕事からリタイヤー出来ても、妻は家事から解放されることは無い。
「しっかり者」の女房は、いつまで経っても家族の為に、身を犠牲にしなければいけないのか。
そんな、愚痴とも付かない怒りが膨れ上がって、行動が投げやりになってきたのかもしれない。
先日、友人と、新宿の高層ビル街の中の、オアシスとも言うべくカフェテラスでひと時を過ごした。
高層ビル群の一角、緑と陽光に溢れたそこは、まさに別天地。 パンのカスを啄ばみに来る鳩を眺めながら、しばしの森林浴(?)を楽しむ。
胸にIDカードをぶら下げて、携帯をかけているおじさん。
ノートパソコンにしゃにむにキーを打ち込むサラリーマン。
笑い声も高らかに、賑やかに喋っている怖いもの知らずの中年のおばさんたち。
皆、屈託無く生きているように見える。
この私だって傍から見れば、優雅に時間を過ごしているように見えるんだろうと思う。
今、ちょっと、私は『天中殺(?)』の真っ只中に居るのだろう。
バイオリズムも底の底、底辺に陣取っているのだろう。
ちょっと、停滞はしているけれど、後は、浮上を待つのみ。
明るく、前向きに考えなくては・・・。
美味しい、コーヒーでも淹れ直そう・・・!!
「パパ! 美味しいコーヒー、入ったよ!」
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