千疋屋のアイスクリーム
2009年7月24日 エッセイ コメント (9)
7月24日。
2~3日前から、この日付が妙に気になっていた。
24日は月こそ違うが、実母と姪の命日だ。
でも、7月24日は、なんだったんだろう・・・。
もどかしく、じれったく、そして、思い出した!
父方の祖父の祥月命日の日だった。
8歳にも満たない私だったから、祖父の記憶は余り無い。
覚えているのは、
「のんのさま」と「アイスクリーム」の二つだ。
祖父が亡くなったのは、昭和20年代の後半だから、日本の事情は今とはまるで違う。
まだ、「男子」が大事(?)にされていた時代だから、上二人の女の子の後に生まれた弟は、別格に祖父には可愛がられていたようだ。
よく、1歳にも満たない弟を抱っこして、月に向かって、
「ほら、のんのさまが見えるかい!」
と、あやしていた姿が印象深い。
そして、亡くなる前年の冬に「アイスクリーム」をねだったことも鮮明に覚えている。
今でこそ、アイスクリームなど、いつでも食べられる世の中だけれど、戦後間もない時期は、それこそ、銀座の「千疋屋」にでも行かない限り、真冬には手に入らない代物だった。
今で言う、【胃がん】で亡くなった祖父の寿命は、千疋屋のアイスクリームで、半年、伸びたのだ・・・と思っている。
嬉しそうにアイスクリームを食べていた祖父。
翌年の7月24日に天に召された。
90歳の天寿を全うした祖母のことよりも、早くに逝ってしまった祖父の方をいつまでも覚えているのは、やはり、「アイスクリーム」と言う強烈な印象が強いからだろう。
今度、銀座に出た時、アイスクリームを買ってくるとしようか・・・。
2~3日前から、この日付が妙に気になっていた。
24日は月こそ違うが、実母と姪の命日だ。
でも、7月24日は、なんだったんだろう・・・。
もどかしく、じれったく、そして、思い出した!
父方の祖父の祥月命日の日だった。
8歳にも満たない私だったから、祖父の記憶は余り無い。
覚えているのは、
「のんのさま」と「アイスクリーム」の二つだ。
祖父が亡くなったのは、昭和20年代の後半だから、日本の事情は今とはまるで違う。
まだ、「男子」が大事(?)にされていた時代だから、上二人の女の子の後に生まれた弟は、別格に祖父には可愛がられていたようだ。
よく、1歳にも満たない弟を抱っこして、月に向かって、
「ほら、のんのさまが見えるかい!」
と、あやしていた姿が印象深い。
そして、亡くなる前年の冬に「アイスクリーム」をねだったことも鮮明に覚えている。
今でこそ、アイスクリームなど、いつでも食べられる世の中だけれど、戦後間もない時期は、それこそ、銀座の「千疋屋」にでも行かない限り、真冬には手に入らない代物だった。
今で言う、【胃がん】で亡くなった祖父の寿命は、千疋屋のアイスクリームで、半年、伸びたのだ・・・と思っている。
嬉しそうにアイスクリームを食べていた祖父。
翌年の7月24日に天に召された。
90歳の天寿を全うした祖母のことよりも、早くに逝ってしまった祖父の方をいつまでも覚えているのは、やはり、「アイスクリーム」と言う強烈な印象が強いからだろう。
今度、銀座に出た時、アイスクリームを買ってくるとしようか・・・。
コメント
今では夏も冬も関係なく売ってますが、お祖父様の時代はとても高かったんでしょうね。
ところで「のんのさま」ってなんでしょうか?
様が付くから生き物とか神様関係だとは思うのですが、思い浮かびません。
教えて下さーい。
はい! 今は良い時代になりました。
アイスクリームなら、いつでも何処でも好きなだけ買えますものね~。
「のんのさま」は、お月様のことです。
昔の人は、何かあると、夜空の月に手を合わせていたのでしょうね~。
「のんのん!」と言って、お願い事の時、手を合わすこと無いですか~?
もっとも、これは江戸っ子の祖父のやってたことで、一般的ではないかも・・・。(笑)
面白い習慣でしょう~?
うちも、母方の祖父が千疋屋の果物が大好きだったようで、亡くなる前には時期外れの果物ばかり食べていたという話を聞いていたので、ついコメントさせて頂きました。
あたしの祖父も、亡くなったのは昭和40年代だったので、まだまだ贅沢なものが手軽に入手できない時代だったんだろうなあと、思います。今でも千疋屋や資生堂パーラーなんかの当時の話を、よく母から聞きます。
アイスクリームのお供え、きっとお祖父様はそれ以上にアミさんのお気持ちに喜ばれていると思います。
今月、母方の祖母の命日があることを今朝、ちょうど思い出していました。何となくご縁がありますね!またお邪魔させて頂きます。どうぞよろしくお願いします。
久しぶりに「のんのさま」を読んで、懐かしくなりました。
私の家では、子供の守り神とされている「姫だるま」のことを「のんのさまよ」と教えられて小さい頃に「のんのさま」と幼いながらも手を合わせていたのを懐かしく思い出します。
「千疋屋」のアイスクリームはとても高価で貴重なものだったのでしょうね。
私の祖父も亡くなったのが7歳の頃だった上に晩年の祖父は口がきけなくなっていたので殆ど思い出がないのですが、目が合うと微笑んでいたことを思い出します。
はじめまして。 ようこそおいでくださいました。
昔も今も、「千疋屋」は庶民には程遠い高値の花です。(笑)
でも、お母様も祖父様に、あの高級な果物を食べさせてあげたかったのでしょう。
どんな高価な薬よりも、効いたにちがいありません。
「資生堂パーラー」しかりです。 私には、今でも敷居が高そう・・・。(笑)
今度、勇気を出してランチにでも行きたいですね~♪
また、お越しくださいね。
「のんのさま」、祖父の造語(?)ではなかったんですね~。(笑)
milkさんも小さい頃に聞いていられたのですね~。 嬉しい!
関東地方の方は、結構、耳にしていたのでは・・・と思います。
栃木県にある、何とか・・・と言う石仏のことも、「のんのさま」と呼ぶようです。
折に触れ、故人のことを思い出してあげるのが、最大の「供養」だと思います。
私は、食いしん坊なものですから、すぐに故人の好物を思い出しちゃうんですよ。
あれが好きだったな~、これも好きだったな~って。(笑)
milkさんの祖父様も、こんなところ(DN)で話題になって思い出されていることを、目を白黒させながら喜んでいると思います。
千疋屋のアイスクリームのことを読ませていただいたら、急に『メロン』を思い出しちゃって、
『メロン』を思い出したら、今まで忘れていたことが、いろいろ、心によみがえって来て…。また忘れないうちにと、今日のDNに書いてみましたが、きりが無いほどでした。
ありがとうございます!
高校生の時に友だちのお母さんが闘病中に西瓜が食べたいと・・真冬の二月のことでしたがその友人とデパートの果物売り場を回って探したことを思い出しました。
主人の死は突然だったので何もしてあげられなかったね、と娘と話していたばかりです。
娘が言うには、でも最後に食べたのが大好きな粉モンだったから良かったよ~^^
Mimiさんのところにもコメントしたのですが
私は果物が苦手なので、果物好きの人に憧れます(笑)
今は、季節感が無くなって、一年中、食べられますが、それでも、真冬の西瓜には往生なさったでしょうね~。
ご主人様のことは本当に、お嬢さんの言うとおりです。
私の実母も、退院するその当日、迎えの車を待つ間に、脳出血で倒れ、帰らぬ人となりました。
荷物も全部まとめて、弟の車を待つ間に、お茶と美味しいお饅頭を食べていました。
一口食べて、「美味しいわね~♪」の一言が、最後の言葉になってしまいました。
私に似て(?)、食いしん坊の母らしい最期だと笑っちゃいます。
だから、今でも、茶饅頭は弱いです!
果物は、実家の父も嫌いな方でした。 唯一、好物だったのが、メロン。
それなのに、再婚した義母が、匂いも嫌いだったとかで、メロンは食べれず仕舞い。
母と正反対の人と結婚した罰(?)だった・・・と、思ってます。(苦笑)