ご近所に救急車が止まった。
明朝、離れて住む息子さんの姿が見えた。
90歳近いお父様がお風呂で倒れて、亡くなられたとのこと。
つい、一日前に、奥様が通りかかり、ガレージで花談義をしたばかりだったのに。
「ご主人、最近、お姿を見かけませんが、お元気でいらっしゃいますか・・・」
「はい! 年はとりましたが、家の中では元気にしています」
と、喋ったばかりだった・・・。
私が嫁に来た時、まだ40代のご主人は、都心の銀行へ通勤とかで、颯爽と歩いておられた。
無口な方で、言葉こそ交わしたことは無かったけれど、軽く会釈をして、家の前を通って行かれた。
時折、聴こえる息子さんの吹くフルートの音に、下町とは違う情緒を感じたものだった。
町内会といっても、回覧板が廻ってきたり、ゴミ当番での繋がりしかなかったが、最近、災害時の近所の付き合いに、ちょっと関心を持っていた矢先のことだった。
普段、町内での訃報を聞いても、個人的にお悔やみを言う程度だった。
が、今回は、やけに、町内の皆さんの動きが活発なように思える。
最近の火葬場事情の所為か、亡くなって4日も経ってお通夜だとか。
今夜、ご近所の方と連れ立って斎場に赴く。
今、東北の被災者の間でも、ご近所通しの繋がりが、いかに大事か・・・と、毎日の新聞やTVの報道でも思い知った。
「向こう三軒両隣」の付き合いは、やはり、必要なのではあるまいか・・・。
明朝、離れて住む息子さんの姿が見えた。
90歳近いお父様がお風呂で倒れて、亡くなられたとのこと。
つい、一日前に、奥様が通りかかり、ガレージで花談義をしたばかりだったのに。
「ご主人、最近、お姿を見かけませんが、お元気でいらっしゃいますか・・・」
「はい! 年はとりましたが、家の中では元気にしています」
と、喋ったばかりだった・・・。
私が嫁に来た時、まだ40代のご主人は、都心の銀行へ通勤とかで、颯爽と歩いておられた。
無口な方で、言葉こそ交わしたことは無かったけれど、軽く会釈をして、家の前を通って行かれた。
時折、聴こえる息子さんの吹くフルートの音に、下町とは違う情緒を感じたものだった。
町内会といっても、回覧板が廻ってきたり、ゴミ当番での繋がりしかなかったが、最近、災害時の近所の付き合いに、ちょっと関心を持っていた矢先のことだった。
普段、町内での訃報を聞いても、個人的にお悔やみを言う程度だった。
が、今回は、やけに、町内の皆さんの動きが活発なように思える。
最近の火葬場事情の所為か、亡くなって4日も経ってお通夜だとか。
今夜、ご近所の方と連れ立って斎場に赴く。
今、東北の被災者の間でも、ご近所通しの繋がりが、いかに大事か・・・と、毎日の新聞やTVの報道でも思い知った。
「向こう三軒両隣」の付き合いは、やはり、必要なのではあるまいか・・・。
コメント
家から出たがらない母は、わたしたち家族が旅行のときにはお隣の奥さんが夜ごはんを持ってきて(自宅の晩御飯をおすそわけして)、ちょっした世間話をして私に安否確認の電話をくださるんですよ。
反対側のお隣さんのお兄ちゃんは家庭教師をしてくださっていたし、今でも親しいお付き合いがつづいています。
ケチャップ、片栗粉、パン粉ソースなどかしたり借りたりしょっちゅうです。ここは典型的な住宅街なんですけど、下町的気風を作るのは結局住人達なんだなぁと思っています。
ホント!
人間関係を良い方向に導くのは、「住人たちの意識」なんですよね~。
コンビニが方々にある地域ですので、さすがに「お醤油・ケチャップ」の類の貸し借りはありませんが、郷里のお裾分けは始終あります。
震災後のモノの品切れ時にはお餅も分けてくれました。
植木の水遣り、お隣の分までしてます。(笑)
わが町内も、私が生まれ育った下町と比べると、活動はささやかです。
「資源回収」くらいしか活動はしてないようです。
でも、徐々に、絆ができつつあるような・・・。
人間は、一人では生きていかれませんものね~。
絆の深さを感じています。