私には、もう実家と呼べる家がない。
5年前に、父が亡くなった時点で、消滅した。
義母と呼ぶべき人が今、何処でどう暮らしているか・・・。
消息すらつかめない。



恒例の年賀状の季節になると・・・、
甥っ子の成績に、いくらかでも貢献しようと、姉達が年賀状を頼んでくれる。
今年も、それを取りに来るという。
高齢の姉達の足を気にして、持って行くと言う我々に、

「行きたいのよ! 実家に・・・」

と、我が家へ来ることを楽しみにしてるのだ。

確かに、姉達にとっては、両親が居なくても、家屋は変わっていても、紛れも無く【実家】なのだ。
それに引き換え、我々姉妹弟が育った懐かしい家は、建ってはいるけれど、表札は・・・。
いつの間にか、見知らぬ名前に変わっていた・・・。

80歳を超えて、尚且つ、実家がある姉達を羨ましく思った。

コメント

マサムネ
2011年11月11日9:09

公社化→民営化されて「営業目標」から「ノルマ」と呼んでもよくなりました(笑)

僕のいた神奈川県西地区の比較的大きな小田原、秦野、平塚ではノルマ達成のために自腹を切って年賀状を金券ショップに売りに行く人はいませんでしたけど、東京のほうでは金券ショップに割安年賀状が出回っていたので売ってる人がいたんでしょうね。

僕は仕事時間以外ではほとんど営業をしませんでしたけど、時間内は一生懸命種をまいて(声かけ)どんな人が買ってくれるのか? どんな人に話をすれば効率が良いのか?を研究しました(成果主義なので)

雨が降ると文字通り雨の日も雪の日も素手で風吹かれて仕事をしている人はどう見ても「国民への奉仕者」だと思います。

多分身分保障があれば頑張って奉仕してたんだろうと今更ながらに思います。

僕の蒔いた身内への種は今はすべて妻が刈り取って妻の営業成績になり、その収入で僕たちはご飯を食べているので結果オーライですね。

僕の実家もありますけど、僕よりも古い建物です。夏の日差しよけに植えた桐の木

が屋根にめり込んで家を壊しそうですが(笑)

桐の葉っぱを集めて庭で燃やすと独特の良い香りがしていいんですよね。

アミ
2011年11月11日13:45

マサムネさん!

実家があるマサムネさんは幸せですよ!
電車で1時間ほどの距離にあるのに、もう、手の届かない実家。
寂しいですね!
実際には、今の家のほうがず~っと長く居住してるのに・・・。
義姉たちにとっては、弟の居る我が家が実家なんですね。
暖かく迎えねば・・・と思います。

ダリア
2011年11月11日15:36

本当に「帰ってしまう」ことがなくても、
帰ることの出来る場所があるというのは何とも
形容し難い有難みがありますね。
自分にとっては(実家が農業なので)土地は(最悪でも)残るだろうと思うけど、
母には無いんだなぁと考えることはあります。

アミ
2011年11月12日4:44

ダリアさん!

お母様の寂しさ、きっと、私と同じでしょう・・・。
現在、住んでるところがあるのに。 子供の頃、育った家というのは、存在だけでも、嬉しいものなのです。
それが「郷愁」なんでしょうね~。
息子達は、折に着け、見に行くこともあるようですが、私は・・・。
他人の家になってしまった実家は、見たくないです!
父母の眠ってる場所が実家のような・・・。(笑)
寂しいです!

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