もっと聞いておけばよかった・・・。
2015年7月26日 エッセイ
先週の日曜日で、お気に入りだったTVドラマが終了した。
家族一同、かぶりついて観ていた。
出演の俳優がどなたも素晴らしかった。
今週からは、見るものもなく、なんだか気落ちしている。(笑)
その中で、気になったのが、東京の大空襲の場面だ。
正直、実際の空襲は私は知らない。
あの空襲の時、私は、まだ2歳の幼児。
記憶は全くなく、周りの大人の話から、得た知識ばかりだった。
母と二人、伯母の処(藤沢)に疎開していたようだ。
父は、まだ帰還してなかったような・・・。
父の記憶は、4歳ごろ、横須賀(母の実家)の野比で畑を耕してる姿をおぼろげに覚えているところから始まっている。
そして、5歳の時、東京の浅草に戻ってきた。
父は、若く、身体も頑健だったため、軍人でもないのに、二度も徴集された人だ。
行った先は中国の中部(中支)だ。
駐屯地での見張り役の時、隣の兵士が突然、倒れた。
眉間に銃弾を浴びたそうな。
危機一髪で生き延びた父は、運の強い人だったのだろう。
が、その後、戦争の話は、家族に一切しなかった。
思い出したくない、辛い思い出なのだろうか・・・。
後年、ほろ酔い気分の時、孫たち(我が息子夫婦)に、中国の人からネギ入り焼飯をごちそうになった話など、したそうだ。
中国服なども着せてもらい、写真を撮った話も。
でも、それらは、父が亡くなってから息子に聞いた話で、私は、父と、戦争の話をしたことは無かった。
もっと聞いておけばよかった・・・と悔やまれる。
72歳の私でさえ、記憶が無いのだから、戦後生まれのお若い人たちは、もっと、知らないことだろう。
風化させてはいけない事実だ!
小さな従妹(私)の為に、下駄箱をおろし、おひな様を疎開先のトラックに忍ばせてくれた心優しい従兄は、あの空襲で帰らぬ人となった。
家族一同、かぶりついて観ていた。
出演の俳優がどなたも素晴らしかった。
今週からは、見るものもなく、なんだか気落ちしている。(笑)
その中で、気になったのが、東京の大空襲の場面だ。
正直、実際の空襲は私は知らない。
あの空襲の時、私は、まだ2歳の幼児。
記憶は全くなく、周りの大人の話から、得た知識ばかりだった。
母と二人、伯母の処(藤沢)に疎開していたようだ。
父は、まだ帰還してなかったような・・・。
父の記憶は、4歳ごろ、横須賀(母の実家)の野比で畑を耕してる姿をおぼろげに覚えているところから始まっている。
そして、5歳の時、東京の浅草に戻ってきた。
父は、若く、身体も頑健だったため、軍人でもないのに、二度も徴集された人だ。
行った先は中国の中部(中支)だ。
駐屯地での見張り役の時、隣の兵士が突然、倒れた。
眉間に銃弾を浴びたそうな。
危機一髪で生き延びた父は、運の強い人だったのだろう。
が、その後、戦争の話は、家族に一切しなかった。
思い出したくない、辛い思い出なのだろうか・・・。
後年、ほろ酔い気分の時、孫たち(我が息子夫婦)に、中国の人からネギ入り焼飯をごちそうになった話など、したそうだ。
中国服なども着せてもらい、写真を撮った話も。
でも、それらは、父が亡くなってから息子に聞いた話で、私は、父と、戦争の話をしたことは無かった。
もっと聞いておけばよかった・・・と悔やまれる。
72歳の私でさえ、記憶が無いのだから、戦後生まれのお若い人たちは、もっと、知らないことだろう。
風化させてはいけない事実だ!
小さな従妹(私)の為に、下駄箱をおろし、おひな様を疎開先のトラックに忍ばせてくれた心優しい従兄は、あの空襲で帰らぬ人となった。
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