私が育った、東京下町(浅草・蔵前)の小母さん連は、皆、良い意味でお節介の塊だった。
親に叱られていれば、自分のところに引き取ってくれて、食事もさせてくれて、頃合いを図って、一緒に、親に謝りに行ったりしてくれた。
子供たちは、地域の大人の慈愛に満ちた目に守られながら、成長していった。
だから、ご多分に漏れず、私も、お節介のほうだった。(笑)
それが、いつの頃からか、他人様のことは見て見ぬふりを。
時代の風潮なのだろうか。
それでも、持って生まれたDNAは消えるわけもなく、お節介虫は、うずいているのだが…。(笑)
先週の日光でも、こんなことがあった。
浅草までのスペーシア(ロマンスカー)を待ってるとき、同じベンチにいた初老の男性。
福岡から東京への出張の合間に、日光に観光にいらした様子。
羽田の最終便で福岡へ帰ると言う。
浅草から羽田までは、都営地下鉄と京浜急行が相互乗り入れをしてるから、簡単に行かれる。
東京湾に沿って、京浜急行・都営地下鉄・京成と、三つの会社が乗り入れをしてるから、羽田と成田は繋がっているのだ。
ところが、かの九州男児の小父様は、北千住を定宿にしているらしく、浅草まで行かずに、北千住で降りると言う。
北千住から、いろいろ乗り換えて、羽田まで行くらしい。
「浅草から、乗り換えれば、1本で羽田まで行かれるのに…」
と、思ったけれど、口には出さなかった。
東京へは、何度も仕事で出向いてる様子だし、草臥れた(?)小母さん連れの言うことなど、聞く耳持たず…と言う感じだったからだ。
外国暮らしの長い妹は、割り切っていて、
「人のことだもの、放って置きなさいよ! お節介、焼くこともないわよ!」
と言うが、私は、そこのところがまだ、割り切れない。
昨今、人情も薄くなったものだ…と、嘆かれる人もいるが、案外、私のように、思ってはいても行動に移せないだけで、決して、人情が薄くなったとは違うような気がする。
親に叱られていれば、自分のところに引き取ってくれて、食事もさせてくれて、頃合いを図って、一緒に、親に謝りに行ったりしてくれた。
子供たちは、地域の大人の慈愛に満ちた目に守られながら、成長していった。
だから、ご多分に漏れず、私も、お節介のほうだった。(笑)
それが、いつの頃からか、他人様のことは見て見ぬふりを。
時代の風潮なのだろうか。
それでも、持って生まれたDNAは消えるわけもなく、お節介虫は、うずいているのだが…。(笑)
先週の日光でも、こんなことがあった。
浅草までのスペーシア(ロマンスカー)を待ってるとき、同じベンチにいた初老の男性。
福岡から東京への出張の合間に、日光に観光にいらした様子。
羽田の最終便で福岡へ帰ると言う。
浅草から羽田までは、都営地下鉄と京浜急行が相互乗り入れをしてるから、簡単に行かれる。
東京湾に沿って、京浜急行・都営地下鉄・京成と、三つの会社が乗り入れをしてるから、羽田と成田は繋がっているのだ。
ところが、かの九州男児の小父様は、北千住を定宿にしているらしく、浅草まで行かずに、北千住で降りると言う。
北千住から、いろいろ乗り換えて、羽田まで行くらしい。
「浅草から、乗り換えれば、1本で羽田まで行かれるのに…」
と、思ったけれど、口には出さなかった。
東京へは、何度も仕事で出向いてる様子だし、草臥れた(?)小母さん連れの言うことなど、聞く耳持たず…と言う感じだったからだ。
外国暮らしの長い妹は、割り切っていて、
「人のことだもの、放って置きなさいよ! お節介、焼くこともないわよ!」
と言うが、私は、そこのところがまだ、割り切れない。
昨今、人情も薄くなったものだ…と、嘆かれる人もいるが、案外、私のように、思ってはいても行動に移せないだけで、決して、人情が薄くなったとは違うような気がする。
コメント
親もそこで怒りを鎮めるってとこでしたよね?子供の頃のついでに
思い出したのが、まめ子って無かった?子供の中に格別小さい子(体じゃなく年が)が居るとその子はまめ子になり、鬼ごっこでも鬼にはならない、ただ仲間に入れて遊んでやってるだけ、、、今の子達にはこんなのは無理?
お節介焼き私も同じ、我慢がつらい!
私の育ったところでは、「おみそ」って呼んでたわ。
言葉はひどいけれど、皆、可愛がってた。
代々、序列(?)は受け継がれていき、ガキ大将なんて、尊敬されてたわ。(笑)
今の子たちには、無理な話ね~。
社会に出ても、何とかやっていけたのは、この地域の遊びのおかげよね~。
今は、狂ってきちゃった・・・。
PCなおって、私も嬉しいわ!