第二次大戦が終わった時(日本の終戦記念日)、私は2歳の子供だった。
どんなに悲惨な時代だったか、私は、何も覚えていない。
無理もない。 2歳と言えば、今で言う、近所のDさんちの坊やと同じ年齢。
覚えて無くて当然だ。

東京生まれの私だが、東京に戻ってきたのは、5歳の時。
翌年、小学校に入学した。
私の記憶は、だから、5歳からのもの。
5歳以前の話は、回りの大人たちから聞いた記憶だ。

父方の祖母の実家の浜松。
母の姉が住む鵠沼。
母方の祖母の実家の野比。
野比で、復員してくる父を待った。

何処へ行っても、小さな女の子の私は、皆から可愛がられたようだが、母の立場は、
非情に微妙で、それこそ、身を粉にして働いたらしい。
母が早くに亡くなったのは、その時の疲れが尾を引いていたのでは…と思えてくる。

先の大戦時、日本の人口は7.000万人ちょっと。
戦争で亡くなった人は民間人を含めて、300万人もいたそうだ。
今の日本の繁栄ぶりをみると、よくぞ、ここまで、復興したものだ…と、涙がこぼれそう…。

復興には、子供故、何のお手伝いもできなかった私。
今の中途半端な性格は、こんなことも影響しているのだろうか…。(-_-;)

コメント

naochan
2019年8月15日12:18

二歳。何も覚えていませんね。

終戦記念日でしたね。

母からは、「暑い日やった」と。

そして、だんなさんの母方祖母からは、
「、、、」でした。

息子を何人も戦争に取られたおばあちゃんでした。



アミ
2019年8月15日16:31

naochan♫

私の父は、健康で、ガタイも良い方でしたので、「甲種合格」。
戦地(中国)に二回も召集されました。
良く、無事に帰国できたこと、奇跡だと思います。
父は、戦争の話を一切、家族にしませんでした。
きっと、話したくない辛い思いがあったのでしょう。

先ほど、ご近所のDさんちのボク(2歳)がパパママと一緒に、郷里のお土産を持ってきてくれました。
可愛くてかわいくて…。
私の2歳も、こんなだったんだろうと…。
覚えてる方が不思議ですよね~。

hana
2019年8月15日21:55

アミさま^^

私は戦後7年で生まれました。
自分が実際に見てない終わった世界(第二次世界大戦)のことって、遠い昔のように思っていたのですが、昭和から平成に遷る時に私って戦後っ子だったのね、と気づきました。 
父方の祖父母も息子を一人戦争で亡くしていますが、私がそれを知ったのは随分と大きくなってからで、墓石を見て祖母に訊いたら初めておしえてくれました。

あの日から74年ですね。
我が子や孫たちのことを考えると、二度とこういうことを繰り返してはならないと強く思います。

アミ
2019年8月16日7:03

hanaさん!

7歳児なら、戦後のドタバタ劇、少しは記憶にあるでしょうか…。
今、自分の孫を見てると、戦災孤児の子供たちと同じような年齢に。
なんか、胸が痛む思いがしますよ。
二度とあってはならないこと。
世界中の「平和」を毎日、祈ってます。

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