思い浮かぶ食べ物の記憶①
2019年8月17日 エッセイ コメント (12)お料理を思い浮かべると、決まって、人の顔が浮かんでくる。
ホワイトシチューなら舅。
じゃがいもの煮っ転がしなら姑。
卵かけご飯は義姉。
すき焼き弁当は母。
そして、うな重は父。
特に、父との思い出の「うな重」は忘れることが出来ない。
父は、母を見送ったあと、7年間、「やもめ」を通した。
男盛りの年齢だったから、かなり、娘にはわからない辛さもあっただろう。
主人には悪いが、休みになると、私は、始終、子供を連れて帰省してた。
祭りの後の寂しさのように、私たち家族が帰ってしまった後の荒涼感はどんなだっただろう…。
胸を掻き毟られるほど…だったと、後になって、父は述懐した。
やがて、町内のある方のご縁で、再婚することに。
弟は、心配して、興信所で調べることにした。
母とは、全く異質の彼女とは、最初から、うまくいくわけがなかった。
が、父の、
「これから、子育てをするわけではないし、残された、人生、面白おかしく
暮らすよ!」
の一言で、調べた書類は、目を通すことなく握りつぶされた…。
もっと、私たちの言葉に耳を傾けてくれればよかったのに…。
実家の冷蔵庫を自由に開けて、気ままにふるまっていた私の生活も一変した。
お茶一つ、自由に、振舞えないもどかしさ。
義理の関係と言うことを痛いほど身に感じた。
たまたま、父と、彼女の留守中に、散歩に行ったとき、「うな重」を一緒に食べた。
昔は、父と一緒に映画館の帰りに、お寿司屋さんとか、連れて行ってもらったものだった。
懐かしく、父との食事を楽しんでいた時、父が、いたずらっ子のような眼をして
「あいつ(後妻さんの事)には内緒だぜ!」
と、言った。
何とも言えない気持ちがこみ上げてきた。
父は、あと2か月で90歳になろうと言う、夏の最中に亡くなった。
もし、あのまま、再婚せずに、私たちと一緒に暮らしていたら…。
父の人生も、変わっていたかもしれないと、在りし日の父を、「うな重」を見ると思い出される。
ホワイトシチューなら舅。
じゃがいもの煮っ転がしなら姑。
卵かけご飯は義姉。
すき焼き弁当は母。
そして、うな重は父。
特に、父との思い出の「うな重」は忘れることが出来ない。
父は、母を見送ったあと、7年間、「やもめ」を通した。
男盛りの年齢だったから、かなり、娘にはわからない辛さもあっただろう。
主人には悪いが、休みになると、私は、始終、子供を連れて帰省してた。
祭りの後の寂しさのように、私たち家族が帰ってしまった後の荒涼感はどんなだっただろう…。
胸を掻き毟られるほど…だったと、後になって、父は述懐した。
やがて、町内のある方のご縁で、再婚することに。
弟は、心配して、興信所で調べることにした。
母とは、全く異質の彼女とは、最初から、うまくいくわけがなかった。
が、父の、
「これから、子育てをするわけではないし、残された、人生、面白おかしく
暮らすよ!」
の一言で、調べた書類は、目を通すことなく握りつぶされた…。
もっと、私たちの言葉に耳を傾けてくれればよかったのに…。
実家の冷蔵庫を自由に開けて、気ままにふるまっていた私の生活も一変した。
お茶一つ、自由に、振舞えないもどかしさ。
義理の関係と言うことを痛いほど身に感じた。
たまたま、父と、彼女の留守中に、散歩に行ったとき、「うな重」を一緒に食べた。
昔は、父と一緒に映画館の帰りに、お寿司屋さんとか、連れて行ってもらったものだった。
懐かしく、父との食事を楽しんでいた時、父が、いたずらっ子のような眼をして
「あいつ(後妻さんの事)には内緒だぜ!」
と、言った。
何とも言えない気持ちがこみ上げてきた。
父は、あと2か月で90歳になろうと言う、夏の最中に亡くなった。
もし、あのまま、再婚せずに、私たちと一緒に暮らしていたら…。
父の人生も、変わっていたかもしれないと、在りし日の父を、「うな重」を見ると思い出される。
コメント
ほんとうですね。食べ物と人は繋がっていますね。
お父さまの事、いつも読ませていただいています。
もしもあの時・・・時間が巻き戻せるのなら・・・。
実家でありながら、他人が入ってきた居心地の悪さ。
なさぬ仲のむつかしさ。
読んでいて涙が出ました。
お盆になると懐かしく思い出します。
この年になっても父と母に会いたい・・・。
母親の再婚相手と父親の再婚相手では違うのかも知れません。
私の記憶では、弟は最後まで継父のことを「お父さん」と呼んでいるのを聞いたことがないです。
彼は彼で複雑な想いを抱いていたのでしょう。
あ、もちろん私だって^^
「うな重」を見ると、お父様を、そして、
あの時、、、と気持ちがざわめく。
人は、必ず、『あの時、こうしていたなら』と
それも、大抵は、故人に絡んで思うものではないでしょうか。
私も父や姑について、今、思う事あります。
それを偲ぶに替えて、我が母も
8月に89歳になり、余計に重なりました。
お父様の事を本当に大切に思われていた
アミさんの文章から、感じます。
そして、お父様も慈しまれて、大事に大事に
アミさんをお育てになった。
素敵なお父様に、献杯❗
いくつになっても、自分が人の子の親に、婆になっても、親は愛おしいものです。
主人は、間尺に合わないかもね~。(笑)
割とよく出来た人ですが、私は、つい、父と比べてしまいますから…。
昔の事とて、親兄弟を養うべく、中学校を中退して、住み込みの小僧として頑張っていた父。
頭の良い、手先の器用な、優れた男性でした。(笑)
私は、物心ついてから、今日まで、さもしい思いを経験せずに暮らせてこれたのは、両親、特に父の恩恵が大きかったからです。
有難いことだと、毎日、父母の位牌に手を合わせています。
私も、父、母に、会いたいな…♪
私も、妹も、弟も、彼女のことを、「お母さん」とは一度も呼んだことがありません。
母は一人、あの優しかった母だけです。
主人のお母さんの事(姑)はすんなり、「お母さん」と呼べたのに…。
後妻さんは後妻さんなりに、大変だったかも…。(笑)
父に、献杯、有難う~♬
ハンサムな人でしたよ!(笑)
自慢の父でした。
母が亡くなってから、繕い物など、針仕事は全部、私がやってました。
買えないわけでもないのに、襟が切れたから、裏返してくれ…なんて言って、Yシャツを繕ったり、長ズボンをニッカポッカ風にリフォームしたり…。
父との思い出はたくさんあります。
父は、棚を作ったりするのがお手の物。
後年、主人にその役を奪われて、悔しそうにしてました。(笑)
「ねーこ、見とってみ、見とってみ」と、ひっくり返すのが上手に出来ると嬉しそうにしていました。
物心が付いてきたばかりの頃です。
まぁ~、TVドラマのワンシーンを見てるようです~♬
嬉しかったでしょう~?
親子の絆なんて、平凡な日常が大事なんですね!
昨今、虐げられた子供の事件を見聞きするたびに、自分の周りを考えます。
幸せに育てられたんだ…と、改めて感謝してます。
良い悪いは兎も角
何処の夫婦もそうなんですかね~
”実家の冷蔵庫を自由に”そんなもんですかね
拝読させて頂き色々参考になります
ありがとうございます
夫婦なんて、そんなものです。
主人とは知り合って、半世紀以上も経つのに…。(笑)
欠点も含めて、父は理想の男性です!(笑)
実家の冷蔵庫。 父の再婚後、開けるのが憚られました。
お茶も、茶たくが出されるようになり…。
私は、もう、この家の娘でなく、お客さんなんだ…と、寂しかったです。
内緒のうな重。 美味しかったですよ、いつもの何倍も。(笑)
父も、自分の再婚相手と、子供たちとの葛藤に心痛めていたんだ…と、感じました。(-_-;)