思い浮かぶ食べ物の記憶②
2019年8月18日 エッセイ コメント (8)今日こそ、真打、登場。(笑)
母の思い出だ。
これまでの人生で、何人、否、何百人の人と触れ合ってきただろうか…。
その数え切れないほどの人の中で、一番好きなのは母だ。
妹に言わせると、彼女は私の知らない母の厳しい面も見てるそうで、どちらかと言うと、父贔屓。
母に、そんな一面もあったのか…と、驚いたけれど、それでも、母が好き!
父も好きだけれど、母には敵わない。(笑)
生まれてから、5歳になって、「姉」になるまで、私は、母と二人きりで生きてきた。
記憶は定かではないが、母の溢れんばかりの愛情を感じ、育てられた。
若かった母も、戦地にいる父を想い、母娘、二人で、強く生きてきた。
母だけでなく、日本中の人が、皆、頑張った時代だった。
父が生還後、両親は、それこそ、髪振り乱して、働いた。
父の商いが軌道に乗ったのは、朝鮮動乱後のことだ。
住み込みの人も何人も増えて、お手伝いの女の子と母は、賄食に明け暮れていた。
私も、見様見真似。
じゃがいもの皮むきやら、お豆を剥いたり、台所でこまこま動いていた。
炊飯器は、もう、出回っていた時期だったが、大勢のご飯作りには、やはり、
おかまが一番!
「はじめチョロチョロ、中、パッパ。 赤子泣いても蓋とるな!」
ご飯炊きのガスの火加減のおまじないだ。(笑)
何度か、失敗しながらも、上手に炊けるようになった。
おかまの底には、オコゲが…。
お醤油を垂らし、母と、つまむ。
美味しかった!
浅草の高級洋食屋さん、「大阪屋」と覚えているが、今は無いらしい。
そこで食べた、海老のコキール。
初めて、ナイフ・フォークの使い方を教わった。
銀座でのお子様ランチ。 プリン・アラモード。
外出着(余所行きの服)を着せられて、ちょっと、雅な世界に。
大人の世界を覗けたようで、嬉しかった。
母には、世話になりっぱなしなのに…。
大人になってからも、母には、一度も、美味しいものをご馳走したことが無かった。
たった、一度、秋葉原の「万世」で、すき焼き弁当を食べただけ。
「このくらい、私に、払わせてね! 次回は、もっと、いい処、連れて行くから」
それから、数か月後、母は、旅立った。
しがないサラリーマンの女房だったし、義父母も居たし、母にだけ…と言うわけにはいかなかったのだ。
主人の両親も含め、4人の親のうち、よりによって、一番年少の母が、真っ先に召されるとは…。
哀しかった! 悔しかった!
今なら・・・。(-_-;)
私の身の丈に合った、リーズナブルな「すき焼き弁当」。
「万世」を見るたびに、母の笑顔を思い出す。
母の思い出だ。
これまでの人生で、何人、否、何百人の人と触れ合ってきただろうか…。
その数え切れないほどの人の中で、一番好きなのは母だ。
妹に言わせると、彼女は私の知らない母の厳しい面も見てるそうで、どちらかと言うと、父贔屓。
母に、そんな一面もあったのか…と、驚いたけれど、それでも、母が好き!
父も好きだけれど、母には敵わない。(笑)
生まれてから、5歳になって、「姉」になるまで、私は、母と二人きりで生きてきた。
記憶は定かではないが、母の溢れんばかりの愛情を感じ、育てられた。
若かった母も、戦地にいる父を想い、母娘、二人で、強く生きてきた。
母だけでなく、日本中の人が、皆、頑張った時代だった。
父が生還後、両親は、それこそ、髪振り乱して、働いた。
父の商いが軌道に乗ったのは、朝鮮動乱後のことだ。
住み込みの人も何人も増えて、お手伝いの女の子と母は、賄食に明け暮れていた。
私も、見様見真似。
じゃがいもの皮むきやら、お豆を剥いたり、台所でこまこま動いていた。
炊飯器は、もう、出回っていた時期だったが、大勢のご飯作りには、やはり、
おかまが一番!
「はじめチョロチョロ、中、パッパ。 赤子泣いても蓋とるな!」
ご飯炊きのガスの火加減のおまじないだ。(笑)
何度か、失敗しながらも、上手に炊けるようになった。
おかまの底には、オコゲが…。
お醤油を垂らし、母と、つまむ。
美味しかった!
浅草の高級洋食屋さん、「大阪屋」と覚えているが、今は無いらしい。
そこで食べた、海老のコキール。
初めて、ナイフ・フォークの使い方を教わった。
銀座でのお子様ランチ。 プリン・アラモード。
外出着(余所行きの服)を着せられて、ちょっと、雅な世界に。
大人の世界を覗けたようで、嬉しかった。
母には、世話になりっぱなしなのに…。
大人になってからも、母には、一度も、美味しいものをご馳走したことが無かった。
たった、一度、秋葉原の「万世」で、すき焼き弁当を食べただけ。
「このくらい、私に、払わせてね! 次回は、もっと、いい処、連れて行くから」
それから、数か月後、母は、旅立った。
しがないサラリーマンの女房だったし、義父母も居たし、母にだけ…と言うわけにはいかなかったのだ。
主人の両親も含め、4人の親のうち、よりによって、一番年少の母が、真っ先に召されるとは…。
哀しかった! 悔しかった!
今なら・・・。(-_-;)
私の身の丈に合った、リーズナブルな「すき焼き弁当」。
「万世」を見るたびに、母の笑顔を思い出す。
コメント
福岡に行く前に大阪で一緒に食事、「こんな事はもうないやろから握ってもらい」とお寿司屋さんで、いつもは盛り合わせとかちらし寿しなのに、、、
アミさんはお母様にご馳走出来たから良かった。何と言っても子供が幸せに暮らしているのが何よりの事だと、私も母が安心して逝ったと思うのが親孝行のほんのひとかけらでも出来たと思う事にしています。
子供が幸せに暮らしてる…と言うこと、親にとっては一番の幸せなことなんでしょうね~。
ご馳走できたから…と言っても、お弁当ですよ! いかにも私らしいです。
今なら、「今半」ですき焼き、ごちそうできるのに…。
(しがない年金暮らしでも…笑)
また今朝も朝から涙です。近ごろ涙もろくなりました。
お母さまに御馳走できてよかったですね。ほんとうにいい思い出ですね。
アミさんのお料理上手はお母さまからなんですね。
「アミ食堂」お昼からよくそんなにご馳走を作られるのだといつも感心。
手際の良さに献立の豊富な事♪
62歳で逝ってしまった母に何にもできなかった・・・。
子育ても一段落して、これからだというときに。
親孝行したいときには親は無し・・・なんですね。
お昼ご飯に力を入れるようになったのは、息子の所為です。
2年前、体調を崩し、会社を辞めて以来、引きこもりになり、寝てばかり。
せめて、お昼だけでも、愛情掛けた食事を…と、なったのです。
我が家の食事は、朝・昼・夜が3:5:2の割合。
老夫婦二人の夜は、残り物で事足ります。(笑)
母は、料理上手な人でしたが、私は、ただの食いしん坊。(-_-;)
自慢できるものではありません。
以前、父に、「私たちがしてもらったように、子供に、してあげられない…」と、言いましたら、「時代が違うよ!」と、答えてくれました。
少し、ほっとしましたけれど、両親に比べると、情けない親です。(-_-;)
お墓に布団は掛けられないと申しますが、まさに地で行ってる私は、後悔し切りです。
直火のご飯は、美味しいですね!
今の子供たちは、あのおこげの味を知らないのかも…。(-_-;)
今、自分が親になって、息子たちから、ご馳走されるのは、なんか、面映ゆく感じて…。
少ないお金で、遣り繰りしてるだろうと、不憫になってしまって…。
好意を素直に受け取れない親です!(-_-;)
笑ってやってください!
小学校3年の時に 親父に 食べさせてもらった ハンバーグが 美味しくて
「あー これじゃ 日本は戦争に負ける わけだ、 相手は毎日 此れを食べてる
僕は 10歳に なって 初めて食べて 肉の(ひき肉だが)美味しさに 驚いてる
こんな 差が あるのに 喧嘩した 日本は お山の大将で 何も知らなかったんだろう」
と ハンバーグに 感激してました
スエヒロも美味しいですよね~♬
確かに、昔の日本は、身の程知らず。
竹やりでは勝てっこありませんよね~。(-_-;)