思い浮かぶ食べ物の記憶③
2019年8月19日 エッセイ コメント (12)いよいよ、第3弾は主人の長姉の話だ。
主人には3人の姉がいたけれど、この長姉が一番、絆が深い。
何しろ、新婚旅行から帰宅するや否や、ず~っと、同居が続いたのだ。
義姉は、いわゆる、才色兼備な女性だ。
すぐにでも、お嫁に行くと…思っていたら、意外にも、独身貴族を貫いた。
結婚話は、星の数ほどあったらしいが、帯に短くたすきに長し。
縁ものは、なかなか、難しい話だ。
義姉は、日本でもトップクラスの商社に勤務してた。
社内でも、女性がひじ掛けの椅子に座れるのは、稀有なこと。
義姉は、その一人だったから、余程、優秀だったに違いない。
男性並みに、仕事をしていたから、帰宅はいつも深夜近く。
食堂には、姉のご飯が、ぽつりと、残されていた。
姑は、明治生まれの人だから、働いて帰ってくる人に、冷ご飯など出せないとばかり、
いつも、炊きたてのご飯を用意する。
必然的に、冷めた冷ご飯は、姑と嫁の私が消化する。
何とも理不尽な話だが、義母が率先してやるのだから、嫁の分際では何とも言えない。
義姉は、おかずは温めなおしでも、ご飯だけは炊きたての白いご飯。
それに卵をかけて、そそくさと食事を終えるのが常だった。
今は、私も、卵かけご飯は大好きだけれど、当時は、見るのも嫌だった。
なんで、姉の為に炊いた残りの冷ご飯を、嫁の私が食べねばならないのか…。
今なら、姑の娘に対する気持ちも理解できるが、あの当時は、若かった私には、
ただただ、口惜しく、姉を恨んだ。
義父母が高齢となり、そろそろ、介護の手が必要になってきたころ、姉は、突然、
独立宣言をし、郊外に引っ越して行った。
姉と知り合って、半世紀の年月が流れ、今を迎えた。
義理の関係だった姉妹だけれど、今では、少し、本当の姉のように感じている。
今、居住してるホームでは、快適に過ごしているようだが、「卵かけご飯」は
食べられるのだろうか…。
次回、会った時、訊いてみようと思っている。(笑)
主人には3人の姉がいたけれど、この長姉が一番、絆が深い。
何しろ、新婚旅行から帰宅するや否や、ず~っと、同居が続いたのだ。
義姉は、いわゆる、才色兼備な女性だ。
すぐにでも、お嫁に行くと…思っていたら、意外にも、独身貴族を貫いた。
結婚話は、星の数ほどあったらしいが、帯に短くたすきに長し。
縁ものは、なかなか、難しい話だ。
義姉は、日本でもトップクラスの商社に勤務してた。
社内でも、女性がひじ掛けの椅子に座れるのは、稀有なこと。
義姉は、その一人だったから、余程、優秀だったに違いない。
男性並みに、仕事をしていたから、帰宅はいつも深夜近く。
食堂には、姉のご飯が、ぽつりと、残されていた。
姑は、明治生まれの人だから、働いて帰ってくる人に、冷ご飯など出せないとばかり、
いつも、炊きたてのご飯を用意する。
必然的に、冷めた冷ご飯は、姑と嫁の私が消化する。
何とも理不尽な話だが、義母が率先してやるのだから、嫁の分際では何とも言えない。
義姉は、おかずは温めなおしでも、ご飯だけは炊きたての白いご飯。
それに卵をかけて、そそくさと食事を終えるのが常だった。
今は、私も、卵かけご飯は大好きだけれど、当時は、見るのも嫌だった。
なんで、姉の為に炊いた残りの冷ご飯を、嫁の私が食べねばならないのか…。
今なら、姑の娘に対する気持ちも理解できるが、あの当時は、若かった私には、
ただただ、口惜しく、姉を恨んだ。
義父母が高齢となり、そろそろ、介護の手が必要になってきたころ、姉は、突然、
独立宣言をし、郊外に引っ越して行った。
姉と知り合って、半世紀の年月が流れ、今を迎えた。
義理の関係だった姉妹だけれど、今では、少し、本当の姉のように感じている。
今、居住してるホームでは、快適に過ごしているようだが、「卵かけご飯」は
食べられるのだろうか…。
次回、会った時、訊いてみようと思っている。(笑)
コメント
卵は奥が深いですよ~♬
お高いのは、やはり、味が濃いです。
我が家は、お子様同様、卵大好き人間が多いですから、消費量、大なんです。
だから、安売りには目が離せません。(笑)
ゆで卵に、塩かけて…。 一番好きかな~♬
あっ!、お砂糖一杯の厚焼き卵も好きです!(^_-)-☆
きっと優秀だったが故に孤高の人でもあったのでしょう。独身を貫き通された心の内が、私にも分かるような気がします。
アミさんのように食べ物にまつわる家族の思い出なら、どなたにもひとつやふたつはあるでしょうね。
私の親父は昔から食卓におかずがいくつも無いと機嫌が悪いので、母が随分苦労していました。ですから、食べ物の思い出というよりも、いつも台所で食事を作っている母親の姿の方が、強く脳裏に残っています。
ところで個人的には、白くて熱いご飯の上に、バターをのせて醤油を少し落として食べるバターご飯が大好きです。
今でもたまに、思い出したように作っては食べています。
そこまでです。だって情を感じさせない人ですもの、優しくされたとか
無いのです。何でも杓子定規で考える人です。あれやこれや過去を引きずってます。
兄の奥さんには本当の姉のように接していますが、、、
それはまさにアミさんの自叙伝のようですね!
私は我慢の足らない子だから…きっとお姉さんなんて嫌いだ!!となってしまうでしょう。アミさんは心が広い。私ももっとおおらかで広い心を持たないとですね。
うちも小さい頃は大家族11人で暮らしていたので、次男の嫁だった実母の立場もアミさんみたいに色々口惜しいことがあったはずだと今になって思います。
施設によっては、生卵はあたったら恐いから出さない所が多いかも。おじいさんが1度卵かけごはんを食べたがって、前日に卵1個、特別に施設の人に頼んで差し入れしたことがありました。
ナカナカ 皆さんの病気が治せず
収入も少なく 母が毎日 夕方に おろおろ してました
おひつに お米は あったのですが オカズが 卵1個しかなく
親子 4人で 生卵を おひつに 割っていれ
お醤油を かけて 食べました
だから 寒かったけど 靴下 買って と 言えずに
ズックに 赤ギレの 足で 学校に通ってました
あぁ~、暖かいご飯にバター醤油。
最高です! 生唾が出そう…。(笑)
姉には、気の毒なことをしました。
昔の事とて、長女故、養子さんを取るつもりだったようです。
ところが、20年も経って、弟(主人)が生まれ、姉の結婚話も反故になり…。
独身を貫いたのも、ちょっとは弟の所為かもしれません。(-_-;)
なんやかんや、ありましたよ!
でも、今は、穏やかに暮らしてる姉を見ると、なんだか、昔の理不尽な出来事は、何処かに飛んで行ってしまったような…。
私、案外、いい人でしょう~?(笑)
人生、長いこと、やっていると、誰でも、自叙伝の一つや二つ、書けるものです。(笑)
姉、お金に関しては、綺麗な人でした。
母には、勿論、弟嫁の私にまで、ボーナス時、お小遣い、くれましたよ。(笑)
特に、家計費として、母には、相当なお金、入れてたようです。
母は、姉の為に、湯たんぽまで、用意してましたから…。
お母様。 口には出せない口惜しさ、味わったことでしょうね~。
でも、子供のため、我慢していたと思います。
親孝行、なさってくださいね~♬
父は、大正生まれ。 日本が貧しく、家族も多く、長男として、ずいぶん、苦労したようです。
あの当時は、東京も雪が多く、長くつが買えず、下駄に雪が絡まって、往生したようです。
父が笑い話として、話せる世の中になったこと、平和になったんだ…と、嬉しかったです。