大好きなお母さん♫
あなたの小さな娘は、今日、喜寿(77歳)を迎えました。
この私が、お母さんより、15歳もお姉さんになるだなんて…。
笑っちゃうでしょう~?
昨日は、次男坊の子供たちが来たんですよ!
姉娘はこの春、中学生に。
弟は、小学校4年生に。
ずいぶんと大きくなって、私のハグを、恥ずかしそうに受けてくれました。
お母さんに、ひ孫を見せたかった!
今年も、平凡ながら、一歩一歩、歩んでいきます。
お父さん共々、見守っていてくださいね!
不肖の娘より
母は、身びいきで言うわけではないが、娘の私から見ても、尊敬すべき女性
だった。
子供の頃(6歳だったとか)母を亡くし、19歳で父を亡くし…。
漁業組合の仲買人だった昔気質の祖父の元、厳しくしつけられたそうだ。
兄嫁と半年同居の後、何が何でも独立を…と、親戚筋の父の元に嫁いできた。
その父は、5歳までは、乳母日傘で育った人だが、父親(私の祖父に当たる)が
飲んだくれで家が没落。
両親・大勢の弟たちを養うべき、中学を中退。
昔で言う丁稚奉公に出たそうだ。
いくら、家を出たいから、親戚筋とは言え、そんな環境の父の元に嫁いできた
母の勇気をまぶしく感じた。(笑)
初々しい新婚の若い両親の新居は、上野近くの根岸の郷。
二階建ての借家住まいがスタートだ。 昭和16年の頃の話。
両親の結婚式の写真を見る限り、戦局はどうだったのだろう。
父は、真っ赤な自転車で、浅草の仕事先に通っていたそうだ。
「ご主人様、郵便局にお勤め~?」
と、近所の人から言われた…と、母は、嬉しそうに私に話す。
その小さな二階家で、私は2歳まで育った(そうだ)。
親戚は皆、男の子ばかりだったので、ぽいっと生まれた小さな女の子は、珍しく
ずいぶんと可愛がって貰ったそうだ。
父の小さな弟たちは、始終、遊びに来てて、新婚の母を悩まさせた(そうだ)。
ある日、思い余って、
「家には枕が無いから…」
と、やんわり断ったら、枕持参で来たそうだ。
祖父と違って、祖母は、自分の子供を育ててる真っ最中と言うこともあって、
余り、気を遣ってはくれず、両親のいない母は苦労したそうだ。
そして、昭和18年1月2日の未明。
根岸の、お行の松近くの産院で、私は生まれたのだ。
日本は敗戦の色が濃くなり、戦地に招集された父も帰らず、母は私を抱いて、
浜松・藤沢・横須賀と、親戚筋を転々と疎開したそうだ。
私が、東京に帰ってきたのは、5歳の時。
両親と一緒に乗った京浜急行の混雑は、聞いているけれど、記憶にない。
私の東京での記憶は、蔵前からだ。
そこで、妹・弟が生まれた。
今、私がたいして努力も無しに、のうのうとした暮らしが出来ているのも、皆、
両親のおかげだ。
感謝してもしきれないほどの「幸」を頂いた。
有難いことだ♪
DNぽくないけれど、自分の生まれた背景を、誕生日当日に、書いてみたくなった。
yasai先生の影響もあるのかもしれない。(笑)
覚えてるうちに、書かねば…と、思ったのだ。
あなたの小さな娘は、今日、喜寿(77歳)を迎えました。
この私が、お母さんより、15歳もお姉さんになるだなんて…。
笑っちゃうでしょう~?
昨日は、次男坊の子供たちが来たんですよ!
姉娘はこの春、中学生に。
弟は、小学校4年生に。
ずいぶんと大きくなって、私のハグを、恥ずかしそうに受けてくれました。
お母さんに、ひ孫を見せたかった!
今年も、平凡ながら、一歩一歩、歩んでいきます。
お父さん共々、見守っていてくださいね!
不肖の娘より
母は、身びいきで言うわけではないが、娘の私から見ても、尊敬すべき女性
だった。
子供の頃(6歳だったとか)母を亡くし、19歳で父を亡くし…。
漁業組合の仲買人だった昔気質の祖父の元、厳しくしつけられたそうだ。
兄嫁と半年同居の後、何が何でも独立を…と、親戚筋の父の元に嫁いできた。
その父は、5歳までは、乳母日傘で育った人だが、父親(私の祖父に当たる)が
飲んだくれで家が没落。
両親・大勢の弟たちを養うべき、中学を中退。
昔で言う丁稚奉公に出たそうだ。
いくら、家を出たいから、親戚筋とは言え、そんな環境の父の元に嫁いできた
母の勇気をまぶしく感じた。(笑)
初々しい新婚の若い両親の新居は、上野近くの根岸の郷。
二階建ての借家住まいがスタートだ。 昭和16年の頃の話。
両親の結婚式の写真を見る限り、戦局はどうだったのだろう。
父は、真っ赤な自転車で、浅草の仕事先に通っていたそうだ。
「ご主人様、郵便局にお勤め~?」
と、近所の人から言われた…と、母は、嬉しそうに私に話す。
その小さな二階家で、私は2歳まで育った(そうだ)。
親戚は皆、男の子ばかりだったので、ぽいっと生まれた小さな女の子は、珍しく
ずいぶんと可愛がって貰ったそうだ。
父の小さな弟たちは、始終、遊びに来てて、新婚の母を悩まさせた(そうだ)。
ある日、思い余って、
「家には枕が無いから…」
と、やんわり断ったら、枕持参で来たそうだ。
祖父と違って、祖母は、自分の子供を育ててる真っ最中と言うこともあって、
余り、気を遣ってはくれず、両親のいない母は苦労したそうだ。
そして、昭和18年1月2日の未明。
根岸の、お行の松近くの産院で、私は生まれたのだ。
日本は敗戦の色が濃くなり、戦地に招集された父も帰らず、母は私を抱いて、
浜松・藤沢・横須賀と、親戚筋を転々と疎開したそうだ。
私が、東京に帰ってきたのは、5歳の時。
両親と一緒に乗った京浜急行の混雑は、聞いているけれど、記憶にない。
私の東京での記憶は、蔵前からだ。
そこで、妹・弟が生まれた。
今、私がたいして努力も無しに、のうのうとした暮らしが出来ているのも、皆、
両親のおかげだ。
感謝してもしきれないほどの「幸」を頂いた。
有難いことだ♪
DNぽくないけれど、自分の生まれた背景を、誕生日当日に、書いてみたくなった。
yasai先生の影響もあるのかもしれない。(笑)
覚えてるうちに、書かねば…と、思ったのだ。
コメント
*・゜゚・*:.。..。.:*・’(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*
喜寿ですね!ますますお元気でお過ごしくださいませ。
おめでたい。おめでたい!
去年の母の喜寿の祝いを思い出しました。
アミさん。ご自身のやご両親の事。ここでお書き頂きありがとうございます。
私も父や母の事。祖母や祖父の事をここに書き残しておきたいと思いました。
私が産まれた時の事など記録しておきたいですものね。
昭和18年頃の根岸や浅草の様子。当時の戦況の様子。
貴重なお話しをありがとうございます。
壮絶な戦時下、アミさんが生まれ、息子さん、
お孫さんへと受け継がれていくと考えると
まさに命のバトンですね。
今年も1年、健康に過ごせますように⭐️
有難うございます。
太平洋戦争は大変な戦争だったそうですが、赤ん坊だった私は何も知らないのよ。
両親も、悲惨な話は、あまりしないんですよ。
根岸は、昔から文人が愛した里だったようです。
お行の松も、もう、何代目になったのかしら。
浅草も、私が小さいころは、盛り場でしたが、今のような観光地とは違った賑わい。
根岸も、浅草も、蔵前も変わりました。(笑)
変化してますね~。 変わらないのは、私だけ…?(*^^)v
まるこさんも、聞いたこと、覚書にでもしておかないと…。
年と共に、記憶も薄れます。(笑)
先輩の後を付いて行きます(^^♪ 白寿のお祝い、盛大にいたしましょうね(笑)
有難うございます。
両親から私。 私たち夫婦から息子へ。 息子たちから孫へと…。
仰る通り、命のバトンは受け継がれているんですね~。
きっと、いずこのご家庭にも、歴史ありですね。
健康。 まさに、この言葉は、私の宝物。
病院通いを、少しでも減らせるよう、頑張ります。(*^^)v
有難うございます。
マダムさんには、私が元気だった姿(杖なし時代)を知っていただいて、良かったです。
年々、歩行も不自由になり(遅い)ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくね!
白寿までは自信在りませんが、整形の先生が手術時、
「この人工関節は20年以上持ちますよ!」
と言ってくださったのが励み。
92歳まで、保証されました。(笑)
アミさんの日記を読ませていただくと、東京の下町生まれだった母の事
また荻窪にあった夫の実家を思い出します。
想うことでその人は生き返りますね。
今年もよろしくお願いします。
アミさんの文章を目で追いかけると目頭が熱くなってきました。
これからも拝見させてくださいね。本年もよろしくお願いいたします。
有難うございます♪
お母様のお過ごしになった下町も、
ご主人様のご実家の荻窪も変わりました。(*^^)v
でも、住めば都。 私は荻窪が一番好きです!
小さいけれど、小回りが利いて、なんか、長閑で、疲れません。
銀座も新宿も大好きだけれど、あそこは遊びに行くところ。
住むには適してないかも…。(笑)
今年も、よろしくです!
有難うございます♪
泣かせてしまいましたか~?(笑)
私は、この年になっても、母や父が好きです。 おかしいでしょう~?
今年も、たくさん、両親の話、書こうと思います。(*^^)v
今年もよろしくです!
久しぶりの昔話ですね。
一月二日の誕生日ということは、
松の内で親戚のみなさんからたくさんの祝福を
受けていらっしゃったのではありませんか。
今年もくれぐれもご自愛くださいませ。
喜寿おめでとうございます❣️
貴重なお話ありがとうござます。
昨日食べた物は忘れますが、昔の事はよく覚えています。
私も後何年かで還暦…まだ信じられませんわ^_^
有難うございます♪
昔のことも、今なら、まだ、覚えてます。(笑)
そのうち、忘れてしまうから、今のうちに…。(*^^)v
有難うございます♪
お正月の誕生日と言うのは、とかく、忘れられちゃうもの。
義妹と次男坊がお祝いを言ってくれました。(^_-)-☆
勿論、主人も。(笑)
もう、松が取れたら、リハビリに連れて行くと、義妹が張り切ってます。(*^^)v
有難うございます♪
昔のことは不思議と覚えてるものです。(笑)
覚えてるうちに、書き留めておくのもいいかも…。
家族の歴史とか、親のこととか…。
まだ還暦が数年先だなんて、お若いのね~。 素敵です!(^_-)-☆
家族に囲まれて
コメント、ありがとうございます。
機械に弱い私など、始終ですよ! お気になさらずにね!
しみじみと読ませて頂きました。
慈しみ愛情を一杯受けて、育たれた、今のアミさんは、お母さんが居られたからですね。
そして、親の歳を越えた時に、また、感慨を覚えるんでしょうね。
喜寿、おめでとうございます♥
穏やかにお正月を迎えられ、幸せにこの一年も
お過ごし下さいませ。
今度は大丈夫かな〜
さっきのコメントは
お母様の勇気を私までまぶしく感じたことと、蔵前のお話また読みたいです♪と書いたのですが
途切れてしまいました。。
ご家族に囲まれて文字通りハッピーバースデーですね.。.:*☆
最後になってしまいましたが
アミさんの日記楽しみにしています。今年もよろしくお願いします。
穏やかにお正月を迎えられ、
幸せにこの一年もお過ごし下さい。
お誕生日、おめでとうございます♪♪♪
これからも、穏やかな中にもきらきらと輝く瞬間を見つけるのがお上手なアミさんらしい日々を楽しんでいってくださいね。
喜寿を迎えられたお誕生日の特別な更新、とても胸に響きました。
アミさんの小さな頃や昔の東京のこととかを、これからもっとうかがえるのを楽しみにしています。
召集から 帰らず 親戚筋を展転として 蔵前に戻ったのが5歳
京浜急行の混雑
の 文章に 自分の事のような 気になり
そして 亡くなった父母を 思い出させて 頂きました
ありがとうございます
喜寿おめでとうございます。
ぽいっと生まれた小さな女の子が喜寿を迎えられたのですね。
枕持参の甥っ子たち。お母さまのお顔が目に浮かびます。
ご両親の愛情いっぱいに育ったアミさん。
アミさんから息子さん。息子さんからお孫ちゃんへと
ご両親から受けた愛が受け継がれて行くのですね。
私も亡き両親に会いたくなりました。
今年もいろんなお話聞かせてくださいね。
育った蔵前の変貌ぶりは、TVなどで見て驚いてます。
大好きな街でしたから、おいおいに蔵前の街の表情も綴っていきましょう♪
有難うございます♪
今年も良い年にしたいですね!
今現在、ばば様の介護をしていらっしゃるのですから、偉いですよ。
私は、介護らしい介護も受けずに、母は早くに逝ってしまいましたから、
短かったけれど、濃密なんですよ。
だから、思い出も鮮明なのかもしれませんね。
おめでとうございます♪
足跡を拝見し、お元気に過ごしていらっしゃるかな…と、思ってました。
コメント、嬉しいです!
今年も良い年にしたいですね♪
年代は5歳ほど違いますが、育ったところは同じ東京。
似てるところが沢山、ありますね~。
私もyasaiさんに刺激を受けて、自分の旅、綴って行こうと思います。(^_-)-☆
日本から遠く離れていると、色々、懐かしいでしょう~?
Mimiさんの東京での定宿(浅草橋)は私の生活圏でしたし、今住んでる荻窪は、Mimiさんが育った中央線真っただ中ですし、共通のお話がたくさんできて、嬉しいです♪
有難うございます♪
今年も良い年にしたいですね!
妹とは4歳半の開きがあります。
私は、長い間、一人っ子で、両親の愛情を独り占めにしてましたから、妹とは、生まれたときから確執があって…。(笑)
妹にしてみれば、なんで自分より資質の劣る姉が、両親、親戚にちやほやされるのか…、納得がいかなかったのでしょう。
大人になっても、姉には、反抗心むき出しで…。(*^^)v
ららる~♪さんのご兄弟の話を伺って、羨ましかったです。(苦笑)
だから、私はと両親との絆は深いんですね!
いい年して、マザーコンプレックスだから、笑っちゃいます。
アミさん、いつまでも若々しく、お元気でいてくださいね!
お正月早々、右肩が痛くて上がりません。(泣)
暮れのお掃除がたたったのか…。(キッチン)
義妹が、整形のリハビリに連れて行くと張り切ってますが…。
家人は、又、医者が増えると、いい顔しません。(-_-;)
若々しくありたのですが、痛みで、しょげてます。